結構毛だらけ、日本は灰だらけ


$子どもへ伝える大切なもの

橋下氏が大阪市長選さなか
一部週刊誌で実父が暴力団員だったこと等が報じられました。

その時、橋下氏は次のように述べた。

「死んだ親父が暴力団員だったと週刊誌を読んで初めて知った。
これはしょうがない。死んだ親父のことだから。
しかし、今の権力構造を変えるには、
坊ちゃんやお嬢ちゃんじゃできませんよ!!

実の父が暴力団員?結構毛だらけだ!!」

普通ならピンチを迎える場面だが、
得意の言い回しでプラスの力に変えた。

大阪の市長選の橋下氏を関東の週刊誌がバッシングしている背景には霞ヶ関や中央政界に不利益を被る人たちがいるという事です。

そんな状況の中、橋下氏の発言には気分がスカっとした人も多いでしょう。


結構毛だらけ」という文句は、映画「男はつらいよ」の寅さんの言葉です。

結構毛だらけ、猫灰だらけ」と続きます。


ケッコウ(鶏)は毛だらけだ、
猫は囲炉裏の灰が暖かく、かゆみ止めに体に付けるから灰だらけという事で、意味は特にありません。

要は「結構だ。」という言葉の言葉遊びです。



というわけで(笑)、今回は「灰」のお話です。
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世界最大の人口100万人を誇った江戸。
そこに生活する人が、消費する物資も100万人分。
もちろん排出するモノも100万人分です。

電気もガスも無い時代、人々の生活は藁や木々を燃やして生活していました。暖をとるのも、煮炊きをするのもほとんど植物を利用していたのです。

しかし、それらを燃やして生じる灰も100万人分です。
1日分でも大量の灰が排出されたのです。


この灰でさえ再利用していたのが、日本人です。

この灰の事を「草木灰」と言います。


草木灰は、リンやチッソを豊富に含んでいます。


関東の土壌は、関東ローム層という酸性の土壌です。
酸性の土壌では作物が育ちにくく、この草木灰(アルカリ性)を撒くことで土壌を中和することができたのです。

江戸の町から大量に出る灰が、農民にとっては貴重な肥料だったのです。



$子どもへ伝える大切なもの当然、この灰を扱う業者が出てきます。
「灰屋」といって灰を集め農民に売る商売が成り立ったのです。

現在で言う、リサイクル業者ですね。



そして灰屋が草木灰を売るのは農民だけではありませんでした。


酒屋、味噌屋、醤油屋
灰を使ってアルカリ性にすることで、
カビが繁殖しにくくなる、発酵を助ける、匂い消し


和紙屋
和紙は木皮を煮込んで繊維をほぐします。
灰を利用することで、より早く繊維を取り出すことができます。


染物屋
重要な触媒として無くてはならないものでした。



また石鹸と同じ効果もあるので、洗剤としても使われていました。



これらは、日本人が忘れている「灰の文化」です。


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植物の芽が出て成長し、資源として出来るだけ利用され

燃やされて灰になっても、新たなモノを生み出しました。


灰は動物や植物の最終形ではなく、新しいモノを生み出す存在。


昔話「はなさかじいさん」

灰を撒くことで、人々が魅了するほどの美しい花が咲く

「灰」は「死」の象徴でなく、生命を生み出す象徴として表現されています。


一から始まって、また一に戻る


日本人はこのサイクルを美しいと感じ

価値のあるモノとしてきました。



しかし、大量生産大量消費の現在

人間は「一に戻れないモノ」を

あまりにも多く作ってしまいました


戻すことができなければ

それは新しいモノが生まれない

「死」への一方通行でしかない



悠久の歴史に培われた価値観は最も美しく尊いものです。


日本人はこの価値観を失ってまで、

真の意味で得るモノが果たして存在するのでしょうか。





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人は何故「さよなら」と言うのか?

 
さようなら

$子どもへ伝える大切なもの

早いもので今年も残すところあと一ヶ月となりました。
この時期になるとバーゲンやクリスマスそして新年を迎える準備など、人も世間も忙しくなるものですね。

今、ヨシツネは年賀状を書いております。
メールひとつで済むことですが、自分が貰って嬉しいので、
人様にも送らせて頂いています。

同じ文章でもメールと年賀状では
受け取る側の印象が全然違ってきます。

不思議なものですね。

「わざわざ書いてくれた」という気持ちと
手書きの文字に温かみを感じるのかもしれません。



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本日は「さよなら」という言葉について考えてみます。

「さよなら」という言葉のイメージは、
何となくさみしい様な切ない様なイメージをがあります。

みなさんはどうでしょうか?

「さよなら」は、別れの挨拶です。
しかし自分が人と別れる時、何と挨拶しているか?と考えると、
どうやら「さよなら」とは言ってません。

「それじゃあね」の関西弁で「ほなね」とか(笑)

もっと省略して「ほな」ですかね。。

大阪では終電間際になると駅周辺のあっちこっちで
「ほな」

「ほな」

「ほな」

「ほな」という声が飛び交います。

日本に来たばかりの外国人には到底理解できないでしょう(笑)



「さよなら」は
「左様ならば」という言葉が変化した言葉です。

「左様ならば」= 「そのようならば」
という事ですから、意味合い的には挨拶の言葉ではありません。

「そのようならば、失礼します。」とか
「そのようならば、ごきげんよう。」と続く言葉が有って、
別れの言葉として成立します。


現在では省略されて
「左様ならば」だけになり
「さようなら」「さよなら」と変化していったのです。





しかし
何が「そのようならば」なのでしょうね?

前提の話が有ってはじめて
「そのようならば」と言う事ができます。

この答えは、ヨシツネも長い間疑問に思っていたのですが、
最近になって腑に落ちる答えにたどり着きました。






「さようなら」の語源  JFH会長 下村孝一

引用すると




私たちの祖先は、古くは鎌倉時代以前から、

物事を多数決ではなく合議制で決めてきた。

全員合意だから夜遅くまで何日も何日も続く。

「今回は泣いてくれ、 次回は俺が泣くから」

「今回はしゃないな。さようならば合意いたそう」となる。
 
このさようならが寄り合い終了を表すことばになった。

接続詞が別れの挨拶語となる世界に一つのユニークな形、

和を尊ぶ私たちの文化である。




引用終わり

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


そうか「さよなら」という言葉は


僕たちが失いかけている

和を尊ぶ日本人の

美しい言葉だったのですね


そうか「さよなら」という言葉は


はるか昔の人が僕たちに贈る

大切なメッセージだったのですね






日本においては
戦前の民主主義と戦後の民主主義には大きな違いがあります。

戦前の日本には江戸明治期までの合議制という「和の精神」が色濃く残っていました。

しかし戦後の民主主義というのは
「和の精神」が欠落した民主主義です。

自由や平等という言葉だけが独り歩きし

個人の欲望までが多数決で決まる時代になりました。

自由だけ大きくなり、対で存在するはずの責任は置き去りにされ
平等という偽善が生み出した、多くの差別は置き去りにされました。


もうそろそろ目を覚ましても
いいのではないでしょうか。


歩むべき道は、まだ少し残されています。




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