ここが変だよ、沖縄県③

                       祖国愛
$子どもへ伝える大切なもの


沖縄は政治闘争(左翼)に利用されやすいという前項の続きです。
利用されやすいのはその土壌があるからです。
日本と沖縄を切り離す工作に躍起なのは
実は本土の活動家です。

その活動の延長線上は、日本の解体です。
ですから、沖縄県民そして日本にとってもこの政治闘争は
問題をさらに混乱させるだけで、とても建設的な話とはいい難いです。


何故、利用されやすいのか?
その第三弾です。
ここが変だよ、沖縄県①
ここが変だよ、沖縄県②


3、本土は沖縄を見捨てたというデマ


日本軍の予想では米軍の「次の目標は台湾」の予想が外れました。
ですから多くの人員を台湾に派遣しておりました。
しかし、「どうやら沖縄だと」いうことで
急遽沖縄の守備には松山、秋田、旭川など日本各地から約12万名が投入されました。

米軍は約54万人の最大規模で上陸作戦を開始しました。
54万人対して12万人。
到底かないっこありません。
では、何故貴重な12万人もかき集めて投入したのでしょう?

日本には沖縄を見捨てられない理由がありました。
①民間人の疎開が思うように進まず、沢山の女性や子供達、老人が残されていました。
②沖縄を失うという事は、本土爆撃がより一層しやすくなる為、さらなる被害の方が大きい。
③和平工作が難航している事もあり、できるだけ持久戦に持ち込む必要があった。



ですから、守備兵は最後の最後まで戦い抜きました。
補給も途絶えて、水、食料、弾薬も無くても戦いました。
マラリアとも戦いました。

それは
沖縄と沖縄の人々の為に・・
だって彼らの殆どが、本土の人間です。




そして忘れてはならないのが特攻隊です。

本土の多くの若者が沖縄の空で命を落としました。
約3000機が戦闘機が沖縄を守る為に出動したのです。

戦闘機自体、日本の保有数1万5千機中3千機を沖縄に投入したのです。

あの若い彼らは
沖縄と沖縄の人々と、その延長線上である本土のみんなの為に
自分の命を懸けたのです。
もの凄い数の対空砲火の隙間を縫って、一心不乱に突撃していく映像を見ると
涙が出そうになります。。。。

あの「執念」は何処からやってくるものなのか?
それは「少しでも米軍の足止めになるなら
みんな、今のうちに逃げてくれ」という想いでしょうか。

彼らの遺書を拝見すると、私心や薄っぺらい生死観ではなく
もっと崇高な意思が現れています。

本土は沖縄を捨てた」という人は、必死に敵艦に突っ込んでいった
彼らのお墓の前で同じ言葉が言えますか?

あんた達は騙されたのよ、かわいそうに」って言えますか?

また遺族に対して
あなたの息子さんはムダ死にでしたね」って言えますか?

もし、言えるなら人間じゃないですね。。。。


特攻という手段で多くの若者が無くなられた事は、すごく悲しいことですし、
僕も戦争礼賛者じゃ無いし、特攻を美化しているわけではありません。


しかし、彼らの「少しでもみんなのと為に」と命を捧げた「」は、

戦後生きる僕たちは感謝しなくて
彼らは心はどうなりますか。。。


知らない土地の沖縄と沖縄の人々を守る為に
本土から飛び立った若者達の事を忘れないでほしい。

」を忘れないでほしい。

「沖縄を見捨てた」なんて口が裂けても言わないでほしい。。。



少し感情的になってしまいました・・・




もうひとつは戦艦大和の出動です。

戦艦大和は、ほとんど護衛無しに沖縄と沖縄の人々を救いに出動しました。
大和の燃料は他の艦から、必死にかき集めてやっと出撃に備えたのです。

よく片道の燃料だけと言われますが、全速で沖縄に
3往復するほどの燃料を積んでいました。
大和には沖縄の人々の為に民生品を大量に積み込んでいたのです。
現在の価値として9億円ものお金も積んでいました。


無謀な作戦だったのは確かですが、
沖縄と沖縄の人々を守ろうと沖縄に向かったのです。

しかしながら大和は集中攻撃を受け、目的地の沖縄には
辿り着く事はありませんでした。
ここでも、約3000人の命が失われました。

少しでも良いので想像してほしいのです。
大和の乗組員は、どんな思いで沖縄の海に向かったのでしょうか?


「チクショー、何とか・・・」
「待ってろよ、沖縄・・・」



「沖縄を見捨てた」と後世の日本人が言っているのを、
彼らの目には、どう映っているのでしょうか?




戦後、情報戦争に日本は破れ
沖縄は、一生懸命沖縄の為に戦った人々に対して冷酷になってしまった。


しかし肝心なのが
沖縄の人々が悪いのでは無い、批判の対象ではありません。
沖縄の人々の感情を利用して、政治利用する団体を批判すべきです。



そうでなければ沖縄の人々はと本土の人々の溝は埋まらないでしょう。
左翼に政治闘争に利用され続けるだけです。





昭和22年に発足した「沖縄教育連合会」は
荒れ果てた戦禍を取り戻すには教育しかず」の合言葉に
昭和27年に「沖縄教職員会」に発展し、
日本人なのだから日本の教科書を使おう」と
東京から教科書を取り寄せるほどでした。

高校の校長経験者いわく
「我々にとって日の丸は国旗で、君が代は国歌。
教職員全員が率先して日の丸を掲揚し、君が代を斉唱した。
日の丸の無い家庭には教職員会で販売し、
掲揚する竿の無い家庭にはそれを提供した。
教職員全員が日の丸と君が代を尊重し、
本土復帰を目指した。」


昭和38年頃、本土で反日イデオロギーを繰り広げていた団体が
沖縄を階級闘争の拠点に」と沖縄で活動を始めました。

それから「教職員会」は「沖教組」となり
本土復帰後の昭和49年には、日教組に正式加盟した。

それからというもの
「沖縄教職員会」の「志」は空のかなたに消え
反日教育、反日イデオロギー団体として沖縄の混乱に拍車をかけています。


テレビ、新聞、教育、政治ありとあらゆる場所で
沖縄は反日主義者に汚染されています。


沖縄では
沖縄タイムスと琉球新報(反日)の販売部数は20万部
読売新聞1100部
朝日新聞800部
産経新聞300部だそうです。

これじゃあ、県民がまともな判断が出来るほど情報が入って来ないですよね。
周りがみんな左に偏っているから、自分の立っている位置が分からない。


誰だってそうなりますよ。
僕だってそうなるでしょうね。


これが沖縄の取り巻く環境です。
(サンフランシスコ講和条約、そして基地問題に触れない事には沖縄は語れませんが、
書き出すとこのテーマが終わらないので、それは、改めて書きます)




むかしむかし

沖縄はかつて祖国愛に満ち溢れたところでした

1964年9月7日の事です


「東京オリンピック」の聖火リレーが

アメリカの施政下の沖縄から始まったのです

奥武山競技場の聖火台が点火し

懐かしい「君が代」が流れ

祖国の美しい「日の丸」が掲げられた時

ある人は涙をこらえながら君が代を歌い

ある人は人目もはばからず涙を流しました

あふれ出た涙は 純真で  温かく

あの美しい海のような輝きを放っていました

今では遠いむかしの おはなしです





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関連記事:幻想の蛍との約束
      命より大切なモノ、忘れてはいけないあの日

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ここが変だよ、沖縄県②

                      対馬丸事件
$子どもへ伝える大切なもの

前項で沖縄の人々の感情を逆手にとって
本土の左翼活動家に利用されている話を書きました。
ここが変だよ、沖縄県①

今日はその続きです!



2、沖縄戦における日本軍に対するデマ


①集団自決について

沖縄戦では非常に悲しい事件がおこりました。
暴行や虐殺されるくらいなら、いっそ家族全員で死のうといって
多くの人達が自ら命を落としました。
そこに「日本軍が強制したとか関与があった」という話で
沖縄県民は未だに自衛隊に対しても否定的です。

もちろん強制した証拠も無いですし、「関与」とはどこまが関与なのかは
定義がありません。

ここでは集団自決にいたるまでの、当時の環境をおさらいしたいと思います。

まず、「生きて虜囚の辱めを受けず」というのは陸軍だけの戦人訓であって
県民には周知されてなかったという事実です。
ですから、これを持ち出して集団自決を語るのは、おかしなことです。



当時の米軍は民間人も関係無しに殺戮しました。


●空襲

まず本土空襲で
空襲爆弾投下数約   50万発
死者約        28万人
全焼全約       236万件


1944年(昭和19年)10月10日のアメリカ軍による沖縄空襲(十・十空襲)
300年あまりにわたって築かれた商業都市・那覇の街は壊滅。
米軍機は延べ900機で、
死者600人、負傷者900人、家屋の全壊焼1万1500戸


こうした米軍の無差別殺戮の情報は、当時の沖縄県民の耳にも入っていたはずです。


●米軍の蛮行


$子どもへ伝える大切なもの
太平洋地域担当の従軍記者エドガー・L・ジョーンズは、一九四六年一昭和二十一年一の
『アトランティック・マンスリー』誌に、
「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、敵の民間人を虐待、
殺害し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置き物を作るとか、または他の骨でぺーパーナイフを作る
とかしてきたのだ」と書いた。

これらの虐待はアメリカ政府公認の元行われました。                  




                                      頭蓋骨を煮る米軍
$子どもへ伝える大切なもの
ジョン・ダワー氏
「たとえば日本の輸送船を沈め、
その後一時間以上もかけて何百何千という
生き残り日本兵を銃で撃ち殺した
アメリカの潜水艦艦長は、この虐殺をその公式報告書に記録し、
しかも上官から公の賛辞を与えられている。」



$子どもへ伝える大切なもの
日本兵の死体から金歯が取られ、残った死体はゴミ穴に投げ捨てられ、
洞窟には降伏しようとしたのにかかわらず、「もどって最後まで戦え」と言ったそうです。
これらの蛮行は日本人なら当然考えられないことです。
鬼畜としか考えられません。
当時、日本人(東洋人)は人間と思われていませんでした。


●対馬丸事件

サイパン島が陥落した事で、沖縄県の非戦闘員である老人や婦女、児童計10万人を
本土または台湾への疎開させよとの命令が出ました。
その一隻である「対馬丸」は約2000人を乗せて長崎に疎開中に
米軍の潜水艦に魚雷攻撃を受け沈没。
学童約1476人が死亡しました。

何はともあれ、学童疎開船が米軍に沈められた事実です。



●艦砲射撃

沖縄戦の序盤は米軍による海からの艦砲射撃で始まりました。
3ヶ月以上にわたって「鉄の暴風雨」と言われるほど膨大な砲弾の雨を降らしました。
沖縄戦でその数6万発を無差別に沖縄本土に撃ちこみました
それは、地形を変えるくらいの威力であったそうです。

砲弾の中はただ爆発するだけでなく、火薬の中に無数の鉄片が仕込んであり
当然、砲弾が炸裂すると、四方八方に鉄片が飛ぶように出来ていたそうです。

こんな話があります。
赤子を背負って逃げるご婦人の背中で砲弾が炸裂する。
飛散した鉄片が赤ちゃんの肉を切り裂き、必死で丘を越えてようやく逃げた若い母親が
背中を見ると、赤ちゃんの首がなかったそうです。

だからみんな防空壕に隠れるのだけども、上陸した米軍が防空壕のいる軍人、
民間人関係なく火炎放射器を浴びせました。
窒息死する人やあまりに苦しくて出てきた民間人は機関銃で殺されました。

容赦の無い米軍の姿は、沖縄の人は見ていたはずです。


●民間人への暴行、虐殺

本部半島に米海兵隊が上陸したとき、村に残っていたのは
女性、子供、高齢者のみでありました。
海兵隊は真昼間から女性狩りをはじめ、村や防空壕に隠れていた
女性が犠牲になりました。


また米軍の占領地域では、米軍兵士による住民への暴行や強盗行為が多発しました。
無抵抗の住民を背後より射殺するなどの蛮行が報告されており、
住民女性への拉致、暴行、強姦も多数証言されています。


神奈川県においては占領開始から10日間で1336件の強姦行為が報告されています。
沖縄の終戦後は、暴行事件による殺害。収容所での投薬殺害
収容所外での規則違反者の射殺。レイプ事件による自殺など多数報告されています。



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※無差別空襲、米軍の捕虜や民間人への暴行、虐殺、米軍の蛮行
対馬丸事件、無差別艦砲射撃、上陸後の米軍の行動・・・


想像して見て下さい?
これらのすべて考慮した上で、もし自分が当時その場所にいたなら
米軍に投降できますか?


米軍がもうすぐそこまで来ている・・・
大切な家族の命を米軍に任せられますか?


だれだって死にたくないはずですよ・・
でも、大切な妻や娘にそんな賭けはさせられない、当然です。
「みんなで死んだ方がいい・・・」と苦渋の選択をされたのです。
そう思う方が自然じゃないでしょうか?



確かに生き残った人は、自決しなかった人かもしれません。
でも自決しなくても、米軍に暴行され殺された人はたくさんいたのです。
自決しなかった、そして米軍に何もされなかった人が、生き残ったのです。

生き残った人は「運が良かった」だけなのです。

生き残った人も苦渋の選択で、自決しなかったはずです。
ですから現代を生きる我々は、自決した人に対して
また生き残られた人に対して批評すべきでは無いと思います。

ですが
「自決した人は犬死だ」なんて勝手な事を言う人を僕はゆるせないんです。
それは死者を冒涜しているのと一緒なのです。


だって死人には口が無いのです
自決しなかったけど、米軍にレイプされ自殺した人に口は無いのです

オジィーやオバァーは当時、一生懸命生きて、苦労して、いろんな事を乗り越えて
最後の最後に、苦渋の決断したのです。

そんなオジィーやオバァーに対して、戦後の人が「犬死」や「だまされた」なんて
よく言えるものだと思います。



軍が手榴弾を住民に配ったとしても、
それは「もしもの場合はこれを使いなさい」
という住民への配慮です。
使う時はその住民の意思次第であったのです。

その事を一つとって日本軍が集団自決に関与していたと
平和な戦後世代が批判する。
それはあまりにも傲慢な話です。



※また、マスコミにあまり報道されない話も書いておきます。

生存者の証言によれば、憲兵が避難を促した際に「自分の家で死ぬのが本望です」と言ったところ憲兵に叱責され、「死に急ぐな! 生きることを考えなさい」と言われ避難壕に誘導されている。その憲兵は避難住民に兵糧を配給し、そして戦場に戻り戦死している。

こういう兵隊さんの話はあまり報道されないですよね。


極限の状態でしたから、住民も日本兵も精神的におかしくなり
冷静に考えられない事はあったかもしれない。
それは平時の精神状態では無いからです。

しかし、「日本軍なら悪いはずだ」と証拠にも無いことを
騒ぎ立てる沖縄左翼にはうんざりです。


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以下引用
渡嘉敷島集団自決、軍命令を否定する証言 :産経

≪元琉球政府の照屋昇雄さん≫

 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。

 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。


 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。


 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。


 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。


 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。


 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋) で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英)
引用終わり


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歴史は史実と証拠に基づいて公正に判断すべきです。


集団自決された方々には、崇高な意思があったはずです。
命令されて死ねるものですか。
それは死者への冒涜でしかありません。



悲しい出来事には変りませんが、そこには家族の絆を感じずにはいられません。
そこには血の通った話があるはずなのです。




いいかげんに沖縄の人々の心を利用するのは止めて頂きたい。
それはオジィーやオバァーを否定する事になるのです。




次回は「本土は沖縄を見捨てたのか」について書きます。つづく・・・


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ここが変だよ、沖縄県①

                        沖縄
子どもへ伝える大切なもの


沖縄の海は本当に綺麗です。
穏やかな気候、マリンブルーの海、そして爽快な空・・・
沖縄に旅行に行った人は、高確率でリピーターになるそうです。
日々の喧騒を忘れさせてくれる自然と
ゆったりとした雰囲気がそうさせるのかもしれません。


その沖縄は今、大きな問題を抱えています。

生活保護費受給率       全国7位
離婚率               全国1位
一人当たり県民所得      全国最下位
完全失業率  8.1%     全国1位
出世率              全国1位☆



美しい沖縄に住む人々、でも数字の内容は美しくありません。
なぜ、沖縄はこのような実態なのでしょう?

我が大阪もすこぶる悪いのですが、大阪は大変ややこしいので(笑)
またの機会に書きたいと思います。

まず、出生率が高いのは、すばらしい事です。
話は脱線しますが、上記の数字から言えば
経済的不安と出生率の低下は、まったく関係無い」ことが良くわかります。

しかしながら、「経済的不安で子供を安心して産めない、
国はもっと保障や手当てを充実させるべき
」という話が
テレビや国会でも飛び交っております。

一見、正論のようで正論でない。
マスコミもコメンテーターも、そんなことお構い無しで国を攻め立てる。
「もっと保障を」と。

将来の子ども達に借金を背負わしてまで「子供手当て」を支給しても
当然、出生率UPや景気刺激策にもならない事は明白です。

それをマニフェストの目玉に掲げた民主党の「いい加減さ」は、
もう国民の知るところでしょう



話を沖縄に戻します。

沖縄にはいろんな問題の結果、上記の数字として現れているのですが
それを少し検証してみたいと思います。


まず、右を見て下さい。$子どもへ伝える大切なもの







これは、普天間基地移設問題における
県内移設に反対する県民大会」の様子です。
鳩山前首相の「最低でも県外公約」が実は無策である事に気づき始めた頃です。



もう、ひとつ$子どもへ伝える大切なもの


県民大会の様子です。





沖縄の人が怒っているのは分かるのですが・・・

何か違和感を感じませんか?

「これって誰が県民なの?」
労組や共産主義者ばかりだし、本土の人間より多いんじゃないかと思うくらいです。

僕はテレビのニュースを見ていて「ぎょっ」としました。
「何じゃこりゃーーー!?」

マスコミはこの件に関しては、ほとんどスルーです。
しかし、この現状が沖縄の問題をさらに大きくしています。



沖縄は政治闘争に長い間利用されてきました。
しかも外部の人間によって沖縄の問題をさらに大きくしています。



沖縄は過去の歴史から、非常に共産主義者に利用されやす状況になっています。
そしてその土壌において偏向報道、偏向教育を受けた若者が
言論リーダーしてたくさん誕生しています。


これを僕たち本土の人間はしっかり理解しないかぎり
沖縄問題は解決はしないと思います。


何故、左翼団体に沖縄の人々が利用されやすいのか?
左翼の主張や沖縄に蔓延る思想について書いてみたいと思います。


1、「沖縄県人は琉球民族であって日本人では無い」というデマ

これを利用して本土と沖縄に亀裂を起こそうとする団体がいます。

少し前の記事にも書いたのですが、日本人特有のDNA(Y遺伝子のD系統)を
沖縄県人は色濃く持っています。
「うるし(漆器)と日本人」参照
沖縄県人とアイヌの人々には日本人古来のD系統の(縄文人)の血が色濃く残っています。
これは学説的に証明されていますので、紛れも無い事実です。

ですから、沖縄県人は本土の人間より、より日本人である事がわかります。
同じ祖先を持つ人間なのです。
本土の人間こそ混血なのです(笑)

もうひとつ北海道犬と沖縄犬のルーツは同祖なのです。
狼時代の名残があるのですが、どちらの犬も穴を掘って出産する習性があります。
昔から人間と犬の関係は切っては切れない存在です。
ですから、たまたまの話では片付けられません。

縄文人の北海道や東北、そして沖縄に足跡があるのです。

こんな事実を無視して
「琉球人は本土の人間とは違う民族だ」と言うのは理解できません。
それは「俺は大阪人や~」と言っているのとあまり変らない事です。

「沖縄独立」などして喜ぶ国は、中国でしかありません。
かの国は沖縄という地域に領土野心がある国です。
それを煽っているのは本土の共産主義者ですから、話が繋がります。



決して沖縄の人々の為にならないことが明白です。



結論 沖縄県人こそ純粋な日本人である。


このテーマは長くなりそうなので、次に続けます。
次回は「集団自決」についてです。


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久留米絣(くるめがすり)と道しるべ

                       久留米絣
$子どもへ伝える大切なもの

久留米絣(くるめがすり)とは福岡県久留米市周辺で200年以上続く織物です。
素材はなんと木綿(もめん)です。絹糸ではありません。
約300の工程を経て、そして約3ヶ月をかけて出来上がる織物です。

特徴は、で染めた絣糸(かすりいと)を使った、温かみのある着物です。


※着物の基礎知識をおさらいしておきましょう

着物には後染めと先染めがあります

○後染めは、生糸のまま着物に織り上げ(もちろん真っ白)、そこから染める事です。
(色無地、付下げ、小紋、訪問着など)
○先染めは、糸の段階で色を染め、その色糸を使って着物を織り上げる事です。
(当然、色糸の段階で出来上がる着物の色が決まります)

絣糸は、染めるべき部分に染めを施した糸のことです。
(染めるのは簡単、染めない部分を作るのが大変!)

つまり、染まっている部分と染まっていない部分で 
たて糸とよこ糸で柄を作っていくわけです。

これは結城紬などでも同じですね。        おさらい終わり




木綿の温かみと絣の伝統芸、そして藍色は変化の楽しさもある。
見ているだけで楽しくなってしまう、それが久留米絣です。






$子どもへ伝える大切なもの
この久留米絣を思いついたのが井上伝(いのうえでん)という女性です。
なんと12~3歳の時に、自分の着物の色が抜けて退色した部分を見つけて不思議に思います。

その着物を解いて、久留米絣を思いついたそうです。
12~3歳といえばまだ子供です。
15歳の時は、弟子が20人も居たそうな。
おそるべし・・・・

何はともあれそれが久留米の特産となり
現在まで伝統工芸品として残っています。




井上伝という一人の少女の探求心が
地方に産業を生みだし、多くの人に仕事を与えたこの話は
昔は、小学校で習っていました

修身」という科目があったのです。
簡単に言えば「教育勅語」を分かりやすくした科目であり
現在の「道徳」の授業をパワーアップした感じです。

戦後GHQによって日本的な物がすべて解体させられる中で
この「修身」も消滅されられました。


「教育勅語」がそうであるように、この「修身」も何ら問題も無い
人としての「生きる道しるべ」のような素晴らしいものです。


この井上伝のお話で少しご紹介しましょう。


でん子は、自分の着古した仕事着をつくろっていました。
まだ十二歳ですが、非常にに利口で、ほがらかな子どもです。
七八歳の時から、はたおりの稽古をして、今では大人に負けないほど、上手になりました。

つくろっている仕事着は、膝のあたりが、すり切れかかっています。
よく見ると、黒い糸が、ところどころ白くさめて、自然と模様になっています。
「まあ、おもしろい。」

と思いながら、でん子の目は、急に生き生きとしました。
仕事着の糸をていねいにときほぐして、黒と白との入りまじったぐあいを、熱心に調べ始めました。
それから後は、御飯を食べるのも忘れて、一心に工夫していました。
四五日たって、でん子は、おり残りの白い糸を、ところどころ堅くくくって、

「これを、このまま染めてください。」
と、こうやに頼みました。

染ができると、くくり糸をといて、縦糸と横糸とに、うまくとり合わせて、
紺色の地に、雪かあられの飛び散ったような、美しい模様が現れました。

出来上がったものは、しまでもなければ、しぼりでもありません。
今まで誰も見たことのない、めずらしい織物でありました。

父母や近所の人たちは、目をみはって、

「これは、かわったものだ。めずらしいものを思いついたね。」
といって、ほめました。でん子は、いろいろな柄を、次々に工夫して織りあげました。

でん子の父は、「くるめがすり」と名をつけて、それを世に広めました。

「めずらしい柄だ。女の子が思いついたのだそうだ。」
「十二の娘が作ったとは、えらいものだ。」

世間では、たいそうな評判です。そのうちに、織方を習いたいという者が、
出て来るようになりました。


                              終わり
と、こんな感じです。


修身の教科書には、こういう日本特有の「為になるお話」が
沢山書かれています。
大人の僕が読んでも本当におもしろい。




僕は何事も「基本」が大事だと思うんです。
人の生き方はそれぞれは、その人の自由だと思いまが、
それは大人になっての話だと思うんです。
子供の時とは何が正しいか悪いことなのか判断が出来ない。


人の道とか、心構えとか、日本という国の事など
基本的なことは幼少期に徹底的に教えないと
善悪の判断さえできない大人が生まれてきます。


徹底的に教えるとそこから応用が利くようになる。
「みんなはそうだけど、俺はこうする」という道を選んだとしても
そこには深い心がある。失敗しにくい。
失敗しても、帰る場所がある。


基本が出来ていないのに、子供の権利だの
「個」の侵害だの、「個性」がつぶれるだの言う日教組などは
正直、子供の事を真剣には考えていない。




それは個性では無いのだ、ただのわがままである
義務を果すから「権利」が生まれるのです
人は一人では生きていけない。社会の一員としか生きていけない
だから「個」を振りかざす前に、「公」を教えるべきです







変な性教育する暇があるなら

根拠の無い歴史教育する暇があるなら

子供達の為にある卒業式で
子供達より自分のイデオロギー優先する暇があるなら

教職員という事を忘れて政治活動する暇があるなら

子供たちの事を真剣に考えるべきです。





そして僕たちは 戦後忘れ去られた

そして自分たちの手で壊してしまった

本当に大切な物の カケラを拾い集め

未来への贈り物を完成させねばなりません

それはご先祖様に頂いたものですから・・・






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クジラと日本人

                    尺差しと尺メジャー
子どもへ伝える大切なもの
                      

本日は、単位のおはなしです。

日本は昔から尺貫法と呼ばれる単位系を使ってきました。
長さの単位は「尺」(しゃく)「丈」
重さは「貫」「匁」(もんめ)
体積は「升」(しょう)「合」
面積は「坪」「町」などです


現在でも使われているものもありますね。

不動産業界でも、広告などは坪で表すことが多いですよね。
しかし、正確な契約書は平方メートルで表します。
それは、計量法という法律で定められているからです。

重さの匁(もんめ)の由来は一文銭の重さ(目方)からきています。
一文銭 → 一文目 → 一匁となったのです。

また、日本の五円硬貨の質量は3.75gで、ちょうど1匁なんですよヽ(゚◇゚ )ノ

匁は貫とともに真珠の業界では質量の単位として国際的に現在でも使われています
これは真珠養殖が日本で成功して、日本の真珠が世界を席巻したなごりです。
"momme"と綴られ、"mom"という記号が
使われているのです。



長さの「尺」という漢字は、親指と人差指を広げた形を表しています。
ちょうど親指と人差し指でピースをした感じです(笑)
親指の先から中指の先までの長さを1尺としました。

これは人によって当然長さが違いますので(笑)
尺の長さを決める必要がありました。
そこで、公に定められた尺→公定尺が定められました。

しかし、公定尺も時代によって権力者に変えられてきました。
それが、未だに使っていたりするので非常にややこしくなっています。



日本では
一般的に一尺は30.303cmです。
大工さんの世界で使用されてきました。
曲尺(かねじゃく)と言い、日本で普通「尺」といえば曲尺を指します。



ですが、きもの業界では
鯨尺(くじらしゃく)を用いています。
鯨尺は一尺37.88cmで約7cmも違います。

でも、着物業界は、未だに鯨尺を使っています。
僕もセンチでピンときませんが、尺で言われるとだいたい分かります(笑)

現在は竹でできた「差し」を使いますが
鯨尺というだけあって、差しは「鯨のひげ」で出来ていたのです。



鯨のひげは非常に弾力があり頑丈なので着物の仕立てに便利だったのです。
$子どもへ伝える大切なもの
鯨のひげは
釣竿
傘の骨
扇子の要
ぜんまいばね
文楽人形
ヴァイオリンの弓
醤油の原料

鯨と日本人の深い繋がりがあることが非常によくわかる例です。



日本は縄文・弥生時代から捕鯨が行われていたそうです。
鯨は丸ごと一頭を大事に、捨てるところが無いくらいに使われました。

欧米人の油を取るだけ取って「あとはポイ」とは違います。
しかも乱獲ですから、そりゃあ数が減ります。


その張本人らが日本に対して捕鯨反対を唱えているのです。
日本からしたら「そりゃ無いぜ」という話になります。

鯨唄や鯨踊りや鯨絵巻の歴史的文化や
鯨に対する感謝の気持ちと追悼の文化もあるのが日本です。


捕鯨が出来ないとこうした文化まで失われるのです。
また、伝統文化の世界ではすでに危機的状況に陥っています。



以下引用



求む!!セミクジラのひげ 伝統人形工房 SOS
河北新報

斎藤さんは1966年から人形劇団ひとみ座(川崎市)で人形製作を担当。
テレビの人形劇に携わった後、78年以降は伝統人形の製作・修復に専念してきた。
97年、古里の二本松市に戻り、独立した。
人形を使った伝統芸能といえば、有名な文楽のほかにも各地に人形浄瑠璃や操り人形などが数多く残る。
しかし文楽以外で、伝統人形の製作・修復を手掛ける専門家はほとんどいないという。
「今ではプロは国内にわたしだけでは」と言う斎藤さんは全国の保存団体から注文を受け、
それぞれの地域の文化を支えてきた。

頭の痛い問題が材料の確保。伝統人形は頭に木曽ヒノキ、関節に猫の皮、
髪にチベットのヤクの毛と天然素材ばかり。とりわけ重要でしかも最も入手困難なのが、
人形を動かすばねに使うセミクジラのひげだ。

伝統人形の生命感あふれる動きは、独特の弾性を持つセミクジラのひげがあって初めて可能となる。
違う鯨のひげや化学素材では代用できないが、セミクジラは乱獲で37年から捕獲が国際的に
禁止されている。

文楽でさえ「水産業者の寄贈で100年分ほどは確保できたが、現在は全く手に入らない。安穏としてはいられない」(国立文楽劇場)という状況。斎藤さんの備蓄は約10年分しかない。

「修復だけなら、わたしが生きている間はもつかもしれないが、
人形浄瑠璃の安定的な維持や後進の育成を考えると備蓄が足りない」と斎藤さん。

ひげが大量に必要なからくりのぜんまい仕掛けなど、既に材料不足で作れない物も少なくない。



引用終わり



こうした他に代用できない物は、死活問題です。


ちなみに捕鯨問題における問題点をまとめておきます。


①捕鯨問題を扱う国際捕鯨委員会に捕鯨をした事のない国が参加している
(単なる外交カードとして参加している事)

②専門家の認識と報道と委員会の議論がバラバラ

③食文化や鯨の特性を理解していない国内の反捕鯨派がいること

④単なるジャパンバッシングの対象となっていること
(オーストラリアやオランダは反日感情が歴史的に非常にある国)

⑤鯨やイルカなどの神秘的なものには欧米人の特有のこだわりがある
(フリーチベットには熱心だが、フリーウイグルはあまり聞かない)

⑥反捕鯨団体のビジネス化による抗議のエスカレート
(スポンサーはハリウッドのセレブ達←良い事をしていると思っている)

⑦活動資金は間接的に日本人も知らずに出している
(L△SH、△atagonia、Quik△ilver、ア△マルプラネットなど)

⑧日本の調査船の乗員に負傷者が出ても有効な対抗措置がとれない

⑨その日本の足元を見て再びテロ行為をしかけられている

⑩我が国前総理大臣鳩山○紀夫氏がわざわざオランダの首相に
「私はクジラ肉が嫌いだ」と発言する馬鹿さ加減
(総理大臣は公人である、個人の趣向は関係なし)



キリが無いのでこの辺でやめておきますが、問題点だらけですね。


文化を失くした国は必ずや滅びます。

何の特徴も趣味もない、ただ生きている人間が味気ないのと一緒です。

世界は多様な文化、言語、特徴があるから面白いのです。
わくわくするのです。
それがまた自分の国を(自分)を知るきっかっけになるのです。

ケンミンSHOWが何故高視聴率なのか
世界ふしぎ発見が何故長寿番組なのか
考えたら分かる事です。


大切な文化を脅かす存在には、その裏に隠されている思想を
良く見極めないといけません。

そして先祖代々から続く文化を守りましょう。

何故なら、僕たちは日本人だからです。



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傷だらけの日本鶴

$子どもへ伝える大切なもの

本日は日本航空についてのお話です。

日本航空は戦後初の民間航空会社として1951年(昭和26年)に設立されました。
当初は国が50%出資する半官半民企業でした。

日本を代表する航空会社として国際線にも参入しました。

1987年(昭和62年)には完全に民営化になりました。

しかしながら、不採算路線の経営もあり、業績は悪化していきます。
一番の悪化の原因は人件費の増大です。

なんと日本航空には労働組合が8つもあるそうです。

役員報酬は70歳まで支給し、業界一とも言える高額な企業年金を支給し、
正規の社員は超高給とり。


どんなに赤字を垂れ流してもこの企業体質は変わらなかった。

平成14年のJASとの経営統合の時も、当然統合するわけですから
リストラを行うべきだが経営陣は労組に負けて断行しなかった

金融機関から多額の救済の融資を受けていても労組は譲らなかった。

経営不振にもかかわらず人件費は高額。
日航は平成22年会社更生法の適用を申請した。

負債総額は2兆3221億円となり戦後最大の経営破たんとなった。

あまりにもずさんな高コスト経営体質に国民は日本航空を税金で救済する
価値があるのかという疑問の声は多数あったが、政府は救済を決定。

企業再生支援機構から3000億円以上の出資
金融機関による3500億円の債権放棄
企業再生支援機構と日本政策投資銀行が6000億円の融資枠の設定



企業再生支援機構は日本政府が50%出資し1.6兆円もの政府保証を行っている機構です。
そして日本政策投資銀行は100%日本政府出資の銀行です。

つまり、日本航空を守る為、いや労組がゴネて経営を圧迫してきた穴埋めに
僕たちの税金が投入されたということです。


当然ながら日航としてはリストラを最大に行い
経営を黒字化して国民にお金を返さないといけません。


しかしながら僕はもう日本航空の病いは直らないのじゃないかと思います。
日本航空にはもうモラルも道徳も無いように思うのです。

ひとつの理由に
ライバルの全日空はリストラと経営努力でなんとか自力でがんばっている。
その全日空に対して税金で支援を受けている日航が低価格競争を挑んだのです。

これはさすがに全日空も怒りました。
公的資金が入った日航が値下げすれば、ライバルの全日本空輸も値下げせざるを得ない。
欧州では公的支援を受けた企業は不当に価格を下げられない規制を設けているが、
日本にそうした規制はない」
これは当然僕も日航のやり方に「ちょっと違うだろう」と思いました。

そしてもうひとつは
日本航空キャビンクルーユニオン(労働組合)がストライキを12月24日
25日に決行
するというニュースです。

あきれるというか、モラルも常識のかけらも無い。
日航をダメにした病巣が本人であることも気づいていないのではないでしょうか?

支援機構はこの暴挙に対して日航への出資を停止するべきだ。
病巣を取り除かないかぎり、日航再生の道もないし、再生させる意味も無い。


日航は日本に根付いてきた歴史がある。
あの鶴のマークの飛行機は本当に美しい。

しかしその鶴は病巣まみれでボロボロです。
日航の再建計画は全日空などに影響して日本の国内の航空業界は壊滅するかもしれない。
それとも、新たなる税金の再投入が大方の予想だ。

「いっその事潰してしまえ」が国民の大方の意見です。
僕もそう思います。


しかし、こんな事を言ったら不謹慎かもしれないですけど、
日航を見ていたら、今の日本を象徴しているような気がするんです。

権利ばかり主張し個々の利益しか考えない労組に汚染され。
幹部は事なかれ主義で改革にメスを入れられない。

困ったら最後は国まかせ。モラルも喪失し、立ち直るメドもなし。
あの鶴は・・まさしく病魔に蝕まれた日本人じゃないかって。

そう思うと、どうせなら潰す前に断固たる改革をしてほしい。
病魔を駆逐してほしい。
そしてマスコミはこの問題をもっと取り上げるべきだ。

日航の問題と真に向き合わない限り、
日本は同じ事の繰り返しになるのではないでしょうか。
第二の日航を生み出し、第二の民主党を生み出す悪循環。


恩忘れた鶴には、その先の物語は誕生しません。
先人の恩を忘れた日本人に、未来はありません。


もし仮に、あの美しい鶴が堂々と

僕たちの空を羽ばたく日が来るならば

それは日本が自信と誇りを取り戻せた日になるでしょう



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小石丸と皇后陛下


子どもへ伝える大切なもの

皆さま、こんばんは!
いつまでたっても暇にならないので、のんびり再開します。
今後とも宜しくお願いします!!

お知らせ:政治の記事が多いので人気ブログランキング着物・和装に政治を
追加しました。

本日は絹のおはなしです。

絹糸(シルク)は(かいこ)が繭を作るときに吐き出す糸です。
軽くて丈夫でそして、やわらかい。
吸湿性にも優れているし通気性も抜群です。


ですから絹織物は古代から、高級品として扱われてきました。

日本でも江戸、明治、昭和初期と生糸(絹糸)は重要な輸出品でした。

お蚕さんは、大きく2つに分けられます。
魚と一緒で、天然と養殖です。

天然のお蚕さんは、野蚕(やさん)とか天蚕(てんさん)と言い
数が少なく、現在でも大変貴重です。
養殖のお蚕さんは、養蚕(ようさん)と言います。

お蚕さんも動物なので、さまざまな種類があります。
金色の糸を吐き出すお蚕さんや
細い糸を出すお蚕さんや太い糸をお蚕さんなどです。

お蚕さんの種類や食べ物の葉っぱ違いで、吐き出す糸の性質が変わるのです。

日本では江戸時代から養蚕業は国策事業として発展し、
大正、明治期には生糸生産量が世界一にまでのぼりつめています。

日本の養蚕技術の発展と安い人件費が勝因でした。

しかし、世界恐慌後に日本は有力な外国の輸出先を失います。
そして、安価な外国生糸や化学繊維に押されるうちに
戦後、日本の養蚕業は衰退してきました。


絹糸はとても高価だったので、庶民は絹織物の重さで良し悪しを判断していました。
重ければそれだけ高価な絹糸がたくさん入っているという事です。
ですから、織元ではこぞって沢山絹糸を生地に使いました。

日本の養蚕業も合理化が進み
より太く、重さが有り、長い糸を吐き出すお蚕さんを生み出すための
品種改良が行われてきました。


しかし、本来は絹糸は軽くて丈夫であり、しかも機能性があるので
すばらしいのです。

着ていて「重い」では本来の意味がありません。
ですが合理化が絹織物をすぐ擦り切れさせ、着心地を悪くさせ
絹織物の本来持つ良さを失わせていきました。

ですから昔の着物はすごく重たいのです。
着ると「肩が凝る」と良く言ったものです。



そこで見直されたのが「小石丸(こいしまる)」という幻のお蚕さんです。
小石丸は古来からの日本産種のお蚕さんです。

最も細繊度の糸を吐き、ケバ立ちが極端に少ないのです。
張力も強く、数々の優れた特性を持つこの蚕は
江戸時代から明治時代にかけて養蚕の主流でした。


糸が細く収穫量が少ないので品質が優れていても
経済性に欠けるとの理由で養蚕業者から淘汰されてきた品種です。


実は皇室では1500年前から養蚕が行われてきました。
一時中断していましたが、明治4年、照憲皇太后が復興して以来
受け継がれてきています。
皇居の紅葉山御養蚕所で飼育されています。

小石丸はこの御養蚕所で飼育されてきました。
御養蚕所においても、すでに使われなくなった小石丸の飼育中止が検討されます。

しかし「日本の純粋種であり、もうしばらく古いものを残しておきたい」と
この小石丸の養蚕を守ったのが、現在の皇后陛下です。

後に、この小石丸の糸の太さが古代の糸に近いことから、
正倉院に保存されている織物の復元に貢献して話題になります。

そして、皇后陛下が敬宮内親王殿下に送られた産着
「小石丸」から作られ話題になりました。

それは国民にも、絹織物の本来持つ良さを再認識するきっかけとなりました。
軽くて丈夫で使いやすい帯。
着心地の良い、本当に軽くて暖かい着物


ここに、古くて新しい絹織物の復活することになりました。

それは、日本原産のお蚕さんおかげです。
そして、皇后陛下のお気持ちのおかげなのです。





皇后陛下のお言葉には僕はとても親しみを感じます。
一般人から皇室に入られたご苦労は、凡人には図りしれません。

数々のいわれの無いバッシングから失声症になられたのも、
ご苦労の蓄積の結果だと思います。

有名な話ですが、皇太子妃時代
ひめゆりの塔に行かれた時、左翼の過激派から火炎瓶が投げつけられました。
その時、妃殿下はとっさに皇太子殿下を庇う素振りを見せられました。

事務総長は逃げたらしいですが、妃殿下のとっさの行動は
教えてもらって出来るものではありません。
誰だって怖いです。
もちろん皇太子殿下も顔色ひとつ変えられなかったですが、
ご自身より皇太子殿下をお守りになるという姿勢に感動します。

ちなみに、この時、ガラス瓶やスパナを投げて実刑判決を受けた川野純治氏は
2010年9月の名護市議選で社民党の推薦を受けて当選しています。
そんなわけ、無いだろうと良識のある国民は思うかもしれません。
でも、それが沖縄の現実です。

彼はこの「ひめゆりの塔事件」の事を左翼の集会で自慢しているらしいです。
まして、この人は沖縄県人ではない本土の人間です。
こういう極左の活動家が沖縄では、大きな顔をしているのが現実です。


話は脱線しましたが、皇后陛下の日本の皇室に対する想いなどは
子供の時からのようです。

平成10年にインドのニューデリーで開催された第26回国際児童図書評議会に、
皇后陛下が「子供時代の読書の想い出」と題してビデオで基調講演をされた時の話です。



以下引用



私が小学校に入る頃に戦争が始まりました。昭和16年(1941年)のことです。

教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に,
たまに父が東京から持ってきてくれる本は,どんなに嬉しかったか。

冊数が少ないので,惜しみ惜しみ読みました。

そのような中の1冊に,今,題を覚えていないのですが,
子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。

日本の歴史の曙のようなこの時代を物語る神話や伝説は,
どちらも8世紀に記された2冊の本,古事記と日本書紀に記されていますから,
恐らくはそうした本から,子供向けに再話されたものだったのでしょう。
 
父がどのような気持ちからその本を選んだのか,
寡黙な父から,その時も,その後もきいたことはありません。

しかしこれは,今考えると,本当によい贈り物であったと思います。

なぜなら,それから間もなく戦争が終わり,米軍の占領下に置かれた日本では,
教育の方針が大巾に変わり,その後は歴史教育の中から,
神話や伝説は全く削除されてしまったからです


一国の神話や伝説は,正確な史実ではないかもしれませんが,
不思議とその民族を象徴します。


これに民話の世界を加えると,それぞれの国や地域の人々が,
どのような自然観や生死観を持っていたか,何を尊び,何を恐れたか,
どのような想像力を持っていたか等が,うっすらとですが感じられます。
 


父がくれた神話伝説の本は,私に,個々の家族以外にも,
民族の共通の祖先があることを教えたという意味で,
私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。

本というものは,時に子供に安定の根を与え,
時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです。


もっとも,この時の根っこは,かすかに自分の帰属を知ったという程のもので,
それ以後,これが自己確立という大きな根に少しずつ育っていく上の,
ほんの第一段階に過ぎないものではあったのですが。



引用おわり




ここのお話でもあるように、皇后陛下は小学校の時に読まれた
日本の神話の本がご自身の根っこになられたと仰られています。

その根っこはアイデンティティーの確立であり
帰属への認識であり、
それは人として将来に大きく羽ばたく為の翼
だと仰られています。

まったく僕もその通りだと思います。

しかし現在の日本では、神話を小学生に教えません。
もちろん、僕が小学生の時にも教えてもらえませんでした。

しかし、僕が大人になって日本の神話や歴史を知れば知るほど
心にゆとりというものが芽生えてきました。

この国が如何に誕生し、どういう歴史を経てきたのか
それは人にとってすごく大事な事ではないかと思います。

まして、今の教育では神話どころか史実さえ捻じ曲がって教えています。

当然、帰属意識が芽生えることができない人が世にあふれてきます。
行く場所も帰る場所も無い人間であふれています。

これは中国のような人工国家を見れば一目瞭然です。
心の支えが無い人間は、権力欲、金欲などが芽生え
自己中心的な行動となってしまいます。

さて日本人はどちらに行くのか?



本来、教育とは真実と事実に即して教えるべきです。
国の伝統や文化は次の世代に伝える財産であるべきです。




その財産は、日本には沢山あります

その財産は、僕たちでしか守れません

その奥に潜む "人の心" は

必ず子どもたちに残さなければなりません





皇后陛下のお優しいお顔から

そう思わずにはいられません。



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